みなさんこんにちは。
いや、もしかしたら初めてこのサイトを訪れてくれているかもしれません。
はじめまして。
現在は、洗足学園音楽大学に在籍し、ユーフォニアム専攻として音楽を学んでいる石倉雄太(いしくらゆうた)と申します。
このサイトもいろいろ考えて自分で0から作りました。
今日は、みなさんに自分のことを少しでも知ってもらおうと思い、これまでのことについて少しずつ書いてみようと思います。
音楽を「好きだ!」と意識し始めた頃
僕は生まれたときからしっかり記憶がある方ではないのですが、少なくとも幼稚園に通っていた頃には音楽が好きだなあと感じていました。
その頃ちょうど見ていた、NHKの教育番組「おかあさんといっしょ」という、もう説明などは必要ないかと思いますが、歌のお兄さん・お姉さんがいて歌ったり踊ったりするという番組がありました。僕はこの番組の歌を聞くのがとにかく好きで…。今思うとここが僕にとって音楽を好きになった原点だったりするのかもしれないと思っています。
また、この頃の両親の携帯電話のアラーム音などにもお気に入りの音などがあったりしました。
とにかく周りから聞こえてくる様々な音によく反応していたそうです。
客観的に見るとかなり変わっていますね(笑)。
幼稚園での歌
幼稚園は家の近くということもあり、キリスト教の幼稚園に通うことになります。
キリスト教の幼稚園に通ったことのある方はわかるかと思いますが、お昼ごはんを食べる前の「いただきます!」と言う前に、感謝の歌を歌ったり、お祈りをする前に歌ったり…と、とにかく歌うことが多いんですね。
僕は特にピアノなどを習っていたわけではないですが、歌うことは楽しくて楽しくて仕方がなかったのをよく覚えています。今でもこの頃の歌は口ずさめたりもしますよ!?
とこんな感じで石倉少年は音楽にのめり込んでいくことになります。
とあるデュオ歌手にハマる小学生
その後、小学校に入学することになるのですが、この頃、両親の影響でとある男性デュオ歌手にハマります。「蕾」や「桜」、「ここにしか咲かない花」などが有名でしょうか。
もうすでにお分かりの方もいらっしゃるかもしれません。コブクロです。
小学生でコブクロ!?とよく驚かれますが、まあこの頃の石倉少年にはとても刺さりました。歌詞から曲から歌まで何もかもかっこいいと憧れの的でした。
小学校低学年くらいのときの誕生日に、誕生日プレゼントとしてコブクロの「5296」というアルバムを買ってもらい、何回も聴いたのをよく覚えています。
ピアノを習うのはまだまだ先なのですが、この頃からなんとなく「音楽を仕事にしたい、歌手になりたい」といった考えを持つようになっていきました。
ユーフォニアムとの出会い
ここまで読んでくれたみなさん、おまたせしました。ここでやっとユーフォニアムの登場です。
ユーフォニアムとの出会いは小学校3年生でした。先ほど書いたように、この頃、石倉少年はコブクロにどハマリしているわけですが、音楽が好きという単純な理由から小学校の金管バンドに入りたいと考えるようになります。
こんなにもユーフォニアムを続けていることから、最初からユーフォニアムの魅力にハマってしまったのかとよく思われますが、実はそんなことはないのです。なんと最初はトロンボーンを希望していました。
なぜトロンボーンなのか?と質問されますが、これはとても恥ずかしい理由でして…。
一番簡単そうに見えたからです。(笑)
トロンボーン奏者の皆さん、本当にごめんなさい。(笑)
当時の石倉少年の頭の中はこんな感じです。
と、まあなんともお恥ずかしい理由でトロンボーンを希望しました。
そして金管バンド体験ということで、トロンボーンを演奏しましたが、当時背が小さく(今も小さいですよ…。とか言わなくていいですからね笑)、腕も短かった僕にとってトロンボーンはとても大変でした。一番伸ばしたところで「ド」の音が出るんですが、そこまで届かないんですよ。
石倉少年はすぐに諦め、別の楽器を試してみることにします。
トランペットはマウスピースが小さくて吹きにくいし、チューバはでかすぎるし…。
そんな時、ユーフォニアムを初めて演奏してみます。
ピンときました。とにかく吹きやすい。この楽器で頑張ってみよう。
こうしてユーフォニアムを始めることになったのです。
ギターを習う
こうして順調に音楽にどっぷり浸かっていく石倉少年ですが、小学校高学年くらいのときにある習い事を始めることにします。
クラシックギターです。
コブクロにハマっていたこともあり、いつかあんな風にギターを持って歌えたらいいなあと考えていました。
始めてみたらまあ大変で大変で…。子ども、特に手の小さい子にとってはクラシックギターのフレット(左手でコードを押さえたりする部分)を押さえるのが大変なんですよね。指から血が出たりすることもありました。
それでも、自分が憧れていた歌手に少しでも近づいていると思うと本当に楽しくて。少しでもいろいろな曲を弾けるようになりたいと頑張っていました。
クラシックギターで音楽教室の発表会に出たり、町の小さなカラオケコンサートでギターの弾き語りをしたりと楽しんでいました。
ちなみに僕が最初に曲を書き出したのもちょうどこの頃です。ギターを習うとある程度コードも覚えてきて、そのコードを並び替えたりして作詞・作曲などしていました。今はクラシックの曲も書きますが、実は最初に書いた曲はポップスのフォークソングだったりします…!
中学校の吹奏楽部へ
小学校の金管バンドではなんと部長を務め(!?)、そして余談ですが生徒会長(!?)まで務めました。今思うととても大変でしたが、みんなと何かを創り上げていくことはとても楽しかったです。
そんな石倉少年も、いよいよ中学に入学するわけですが、この時点でユーフォニアムという楽器の魅力にどっぷり浸かってしまっていたため、迷うことなく吹奏楽部への入部を決めます。ユーフォニアムはマイナーな楽器なので特に争うこともなくユーフォニアムを担当することに決まります。
この頃、先生からソロコンクールに出てみない?と言われたことをきっかけにユーフォニアムのソロ曲を初めて練習し始めました。結果はあまり良くなかったような気がしますが(あまり覚えていない…)、とにかくソロで演奏するって楽しい!とこれまで合奏しか経験したことのない石倉少年は思ったのです。
と楽しんでいる間に中学は3年と短いのですぐに卒業が来てしまいます。実は中学校でも吹奏楽部副部長、生徒会長と務めており、勉強もそれなりには頑張っていました。
しかし、勉強はなかなか思うように点数が伸びず、とても苦しんで勉強していました。自分が勉強する意味もあまり見いだせず、音楽は好きでしたが、将来は何をしようと途方に暮れていました。
ちょうどそんな時、とある高校のパンフレットが目に飛び込んできたのです。
長野県唯一の音楽科のある、長野県小諸高等学校のパンフレットです。
そこには、音楽の世界で活躍する素晴らしいプレイヤーがたくさん載っており、音楽を一日中勉強できる夢のような学校でした。
ユーフォニアムプレイヤーとして、生きていくとしっかりと決めていたわけではありませんが、僕にとって音楽は今まで生きてきた中で一度も辞めたいと思うことはないくらい本当に好きなものでした。
ここで音楽を学びたい、学んでもっと上手くなりたい、もっと上手くなって音楽で食べていけるようになりたいとこのパンフレットを見たことをきっかけに僕の人生は動き始めたのです。
例え高校であっても音楽科は音楽科。みんな幼少期からピアノを習い、ソルフェージュを習い、プロの奏者のレッスンを受けているのが普通といった世界です。
僕は中学3年生の最初の時期でこれらをまったくやっていなかったので、急いでやりました。
結果は無事に合格。
めでたく音楽科のある高校に進学することになったのです。
音楽科に入学して
音楽科に入学した後は本当にとにかく忙しい日々でした。これまで続けてきたユーフォニアムを続けるべく、もちろん吹奏楽部にも入りました。
しかし、この吹奏楽部が大変でした…。
最初のうちはとにかく先輩の動きを見て学ぶこと。
中学の時はそこまで厳しい部活ではなかったのですが、高校の吹奏楽部は初めて経験する強豪校の吹奏楽部のあの独特の厳しさです。
とにかくキツかったですが、なんとか頑張りました。
また、音楽科であるので、吹奏楽部とは別に、個人のソロの試験があります。
中学までは周りに音楽科を目指すような人はあまりおらず、少し天狗になっていたかもしれません。
でもここはみんながプロを目指す人たちで溢れています。自分の楽器のレベルは入学した時、みんなと比べてあまり高くはありませんでした。
みんな上手な人がとても多く、そんなみんなに刺激されたこともあり、とにかく一番上手くなりたい、一番レベルの高い東京藝術大学に入りたいと強く思うようになりました。
高校でもいろいろあった末、吹奏楽部の部長を務めさせていただくことになり、部活をまとめつつ、自分のソロを極めていくことになります。
編曲との出会い
今では編曲をかなりこなすようになりましたが、最初に編曲を開始したのは高校生の時でした。
音楽大学を目指すため、音楽理論というものを勉強するのですが、その知識が少しずつ入っていく中で、作曲も今までよりさらに力を入れて取り組むようになりました。
この頃は合唱曲をよく作ってコンクールに応募していましたね。
人生初めて編曲を行ったのは、高校で毎年行われているミュージカルの発表をするときのことです。
作曲を少しかじっていたことから、編曲お願い!と人生初の依頼を受けるわけです。
最初は作曲じゃないからなあとあまり乗り気ではなかったのですが、自分の書いた楽譜が音になるというのはこんなにも楽しいのかととても嬉しくなったのを今でも覚えています。
そしていよいよ大学受験
高校生活も終盤になり、いよいよ大学受験。
この頃には、失敗してはいけない、上手く演奏しなくてはいけないという気持ちばかり自分を締め付け、音楽を楽しむ気持ちは全く残っていませんでした。
今思えば非常に良くない状況。
毎日毎日必死の思いで練習をしますが、それは音楽ではなく、もはや修行に近かったのかもしれません。
しかし、どうしても一番になりたかった僕は東京藝術大学合格以外の道は全く考えていませんでした。
つまり、併願はしませんでした。
緊張と疲れから何日もよく眠れない日が続きました。
そしていよいよ受験当日。
緊張しながらもコプラッシュ(ユーフォニアムの練習曲です。)をすべて暗譜したことから、なんとか吹ききりました。
そして結果は…。
1次試験を突破しました。
東京藝術大学は1〜3次試験まであり、全て突破すると晴れて合格となります。1次合格はとても嬉しかったですが、うかうかは全くしていられません。
1次試験が終わった後すぐに2次試験になります。
2次試験もとても緊張しましたが、神様はこんだけ努力した僕をわかってくれていると、努力は必ず結果に出ると、そんな気持ちで望みました。
結果は…。
残念ながら僕の番号はありませんでした。
終わった…。
何もかも。
自分がしてきた努力は一体何だったのだろうか。
辛い。
逃げたい。
消えてしまいたい。
言葉にならないくらい辛かった。
結果を知ってから、何も動けなくなりました。
その後、少し冷静になってからお世話になった先生に連絡します。
僕より辛そうな声。
これもきつかった。
冷静になるほど、来年の居場所がない現実を目の当たりにします。
今までの人生で来年の春に何をしているかってだいたいわかっていることが普通だと思うんですよね。それが全くわからない。
そこからは、僕自身が自分の人生を生きることを放棄してしまいました。
浪人生活
居場所がなくなる怖さから、芸術大学、音楽大学を目指す人が通う予備校のような学校へ入学します。
そこには僕と同じような、浪人して東京藝術大学合格を目指している人がいました。
そんなことで多少の居場所にはなりました。
とはいいつつも、浪人しているという重くのしかかる現実。これは変えようがありません。
とにかく苦しかった。
友達も僕のことを気遣ってくれてたまに遊びに誘ってくれるんです。
だいたいそういうところって学生料金とかあるじゃないですか。
僕だけ「大学生」ではないから一般の料金になったりするんですよ。
こんなこと全く気にしない!という方も多くいらっしゃると思いますが、僕にとってはこんなことですら辛かった。
楽器のレッスンは続けていましたが、正直全くやる気が出ません。
高校生の時は、お昼ごはんを食べる時間すら惜しくて練習していました。あの時もっと練習できたな…なんて隙間はどこにも作らないくらい練習をしていました。
そこまで3年間練習して受からないなんて、あと1年やったら受かるのか…。そんな気持ちになってしまっていました。
今思えば、まだまだチャンスはあったはず。
でも、そんな気力すら残っていなかった。
毎日ご飯を食べて、生活するだけで精一杯になってしまい、音楽をしたいなんてこれっぽっちもなくなってしまいました。
まあ、そんな中でも自分で曲作って歌ったりすることはやっていましたね。そういう活動に関してはレッスンなどもなく、誰かに評価されるということもないので良いストレス発散になっていました。
音楽は離れていかない
浪人時代に突入し、あっという間にやる気を失ってしまった僕。
いわゆる挫折です。
しかも大きな。
しかし、そんな中でも、音楽を聴きたくなったり、曲を作りたくなってしまう僕がいました。
「どんなに辛くなっても、音楽は離れていったりしないんだ。」と気づいた瞬間です。
あんなに目の前が真っ暗になった東京藝術大学不合格という事実。
これがやっと受け入れられるようになってきました。
そこで、「よし、今日から頑張ろう!」と勇気を出して頑張るのですが、そうすると全くやる気のなくなってしまう日が2〜3日と続いてしまうというのを繰り返します。
とにかく辛かった。
頑張ろうと思っても、すぐに異様な疲労感に襲われてしまう。
これの繰り返しでした。
そして、浪人生活は早いものであっという間に人生2回目の大学受験がやってきてしまいます。
精神が疲弊しきっていた僕は、とにかく大学生になりたい。それしかほぼ残っていませんでした。
人生2回目の大学受験
僕は色々考えて、また東京藝術大学を受けることにします。2回目なので今回は勝手がよくわかっており、そこまで不安な気持ちになってしまうことはありませんでした。
受験の際には他の受験生の音がよく聞こえてきます。もうその時に、僕は「ああ、こんなに上手い人たちがいる中で、なんで順位なんかつけなくちゃいけないんだろう。みんなそれぞれ良さがあっていいじゃないか」と完全にひねくれた考えになっていました(笑)。
そんな考えで受かるはずもありません。不合格です。
電車の中で結果を見ましたが、今回はあまり悲しくありませんでした。
この一年間、しっかりと努力できなかったからですね。
そして今回は、流石に一本勝負ではなく、東京藝術大学以外にも今現在、在籍している洗足学園音楽大学も受験していました。
最初の受験の年には全く受けるつもりもなかった大学ですが、受かったときは素直に嬉しかったですね。
「これでようやく大学生になれる」という気持ちでいっぱいでした。
そんなこんなありまして、第1希望ではないしにろ、僕は音大生になることができました。
洗足学園音楽大学への入学
僕は浪人をしており、みんなよりも1年遅いことを引け目に感じてしまい、入学式はワクワクなどは特にしていませんでした。至って冷静(笑)。「ああ、ここが音楽大学か。なんともでかいなあ…」とこんな感じです。
正直、大学のレベルだけを見ると、東京藝術大学に比べ入学するというレベルはあまり高くありません。でも、ここに入学し頑張ると決めたからにはしっかり頑張っていこうという気持ちで洗足音大生生活をスタートさせました。
再びの挫折
入学したての頃はそれなりに楽しんでいましたが、なかなか思うように上手くいかないときもあり、また浪人時代のように音楽を楽しめなくなってしまった時もありました。
一体何のために音楽をやっているのだろう。
誰かの理想のために音楽をしなくてはいけないのだろうか。
先生が良いといえば…。先生が良いと言ってくれる音楽だけを目指し続けなければいけないのか。
そんな考えで埋め尽くされてしまいます。
それから僕は悩みに悩んで一つの答えを導き出しました。
「自分の気持ちにしっかり耳を傾けること」
至って単純です。「こんなことか(笑)」と拍子抜けしてしまった方もいるかと思いますが、僕にはとにかくこれが足りていなかった。
僕はこうでなければいけない、みんなから上手いと思われていなければいけない、練習はサボってはいけない。全部、自分が周りからいい人と思われるための武装でしかありません。
そんな武装は長く続けられるわけがないし、自分の気持ちに反しています。
僕は音楽で自分の表現を創り出すことが好き。これだけでいいんです。
そして、あわよくばそれで有名になりたい。(笑)
こういう少し汚い欲望も全部聞いてあげる。
今日は練習したくない。とかだるい。とかそういう日があってもいいじゃない。にんげんだもの。
そういう気持ちがあるってちゃんと認めてあげた上で、それでもまあやるかって。
こんなもんでいいんですよ。
僕は、今まで生きてきて、ようやく自分の声をしっかり聞いてあげることができました。
そこからというもの、全てが全て上手く行っているわけではありませんが、自分なりに音楽を心から楽しみつつも、「もっと上手くなりたい」「もっとお客さんに届けたい」とまた、あの音楽を心から愛していた頃のような気持ちが蘇ってきました。
本来はこんな純粋な気持ちでいいんです。
そこに気づくことにとても時間がかかりました。
もちろん辛いときだって無くなったわけではありません。
思いっきり努力しても結果が出ないときなんて山程あります。
でも、そういうときだって、神様はどうして…。と考えるのではなく、今の「悔しい」「惨めだ」「あいつはいいなあ」と色んな気持ちを一旦全て認めてあげる。
その上で、でもあともう少しだけ頑張ってみるか…と少し動き出してみる。
そのうちまた楽しくなって、夢中になっているんです。
音楽ってそんな魅力もあるなあと感じています。
そうやって何回も自分自身で頑張っていれば、すぐには結果に出なくても、必ずいつか結果に出ます。この世の中も捨てたもんじゃないなって思えるようになりました。
これからの活動
と、ここで現在に至ります。
ここまで読んでくれて本当にありがとうございました。
今現在は、フリーの音楽家として食べていけるように毎日必死に勉強しています。
音楽大学に通っている方はお分かりだと思いますが、この業界は需要と供給のバランスが非常に悪いんですね。演奏したい人はたくさんいるのに、演奏を聴きたい人はあまり多くはありません。もちろん、素晴らしい才能を持っているトップクラスの演奏者は食べることに困ることはない(?)と思いますが、僕を含めた多くの人には厳しい現実があります。
だからこそ、少しでも付加価値を作ることが重要だと考え、僕の活動(ユーフォニアムの演奏活動、作編曲活動、その他諸々)を発信していけるようなサイトを自分で作り、少しでも多くの方に音楽を届けることができるようになりたいと考えています。
この先どうなっていくかは検討もつきませんが、暖かく見守っていただけたら幸いです。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
これからも是非、石倉雄太を宜しくお願いいたします。
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