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「面倒くさい」の裏には「完璧主義」が潜んでいるのかも

こんにちは、石倉です。

何かをする時に「面倒くさい」って思ってしまうこと、ありませんか?

嫌なことが面倒くさいって思ってしまうことは、まあ当たり前っちゃ当たり前なのですが、好きなことでも面倒くさくなる瞬間ってあると思います。

僕で言えば音楽。
楽器を吹いたり、作曲したり。
これらが面倒くさくなってしまうことがあるんです。

もちろん、好きな時に好きなだけ、音楽ができればいいのですが、現実はそういかないことも多いですよね。

例えば部活動。
今日は行きたくない、楽器を吹きたくないなあと思っても、現実的にはそうはいかない。

他にも本番があるとして、ちょうど本番の日にベストな気持ち、ベストなコンディションに持っていければいいのですが、「今日はなんだかなあ」と思う日に限って本番だったりするわけです。

こんなふうに「面倒くさい」と思ってしまうのには、理由があるんです。
それは完璧を求めてしまうということ。

100点を目指すことをやめることが、「面倒くさい」気持ちを和らげてくれます。

目次

「完璧にやろう」が面倒くささを助長する

僕は小さい頃からだいぶ完璧主義者でした。
今は頑張って直そうと思っていますが、それでもふと気がつけば完璧主義になっていることがあるんです。

この完璧主義、メリットは自分で満足がいくまで物事をやり込めるということ。
デメリットは、とても面倒くさがりになってしまうという点です。

このデメリットがとても大きい。

これを読んでいるあなたも考えてほしいのですが、普段どんな時に面倒くさいと思ってしまうでしょうか。

完璧主義とまではいかなくても、うまくやらなくちゃ、とか、ちゃんとしなくちゃ、みたいな気持ちがありませんか?

その証拠に、ちゃんとやらなくちゃと思わなくてもできるようなもの(ゴロゴロしながら見るスマホ、ゲーム)なんかはあまり面倒くさいと思わないのではないでしょうか。

自分にとっての適当が相手にとっての100点かもしれない

「じゃあ、完璧主義をやめて、適当にやればいいじゃん」

今まで何度も言われました。
でも、なかなか完璧主義をやめられない。

どうしてかなと考えた時にわかったのは、「結果を求めて評価されたい」という気持ちが強いということ。

頑張ったら頑張ったぶんだけ、評価されたい。
ごくごく当たり前の気持ちですよね。

でも、よくよく考えてみると⋯

自分にとっての100点、自信満々のものが相手にとっても同じ100点とは限らない。
というごく当たり前のことに気がつきます。

なら、逆も言えますよね。

自分にとっての適当が、相手にとって100点になる場合もあるということ。

つまり、相手がどう評価するかなんてわからないのです。

だったら、「面倒くさい」なんて思いながら頑張るより、適当に、楽にって思いながらやるほうが、よっぽど健康的に過ごせそうですよね。

おわりに

「面倒くさい」という気持ちの裏には、完璧主義が潜んでいるかもしれない、ということをお話ししてきました。

完璧主義までいかなくても、ちゃんとやろう、しっかりやろうみたいな気持ちがどこかに潜んでいることで、面倒くさいと思ってしまっているかもしれません。

相手にとって何が100点なのかは、相手にしかわからないもの。

だったら、少しでも自分が面相くさいではなく、楽しいと思えるような気持ちで物事をやれたらいいですよね。

それでは、今日も楽しく練習していきましょう!

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