こんにちは、石倉です。
金管楽器はその楽器の特性上「音を外す」というものが存在します。
音を外すとは、意図した音とは別の音が出てしまうということ。
金管楽器は倍音を操って音を出します。
もちろんピストンや、トロンボーンならスライドを使ってある程度は音を変えることができるのですが、それでも最終的に狙った音を出すのは口や息を使わなくてはいけません。
これ自体とても難しいことをしているのですが、特に高音域になると倍音同士が近くなり、ちょっと口の動きが変わったり息のスピードが変わるだけですぐに音が外れてしまいます。
僕が学生の頃、この「音を外す」というのがとても怖くなりすぎてしまった時期があり、その時期には音楽を楽しむことなんてできなくなってしまったんです。
とにかく音を外さないことに必死で、それはまるで「音当てゲーム」に近かったのかもしれません。
音を外すことが怖くなってしまったわけ
楽器を始めたばかりの頃はそれこそ「音が出るようになった」とか、「できることが増えた」ということで楽しいことに満ち溢れていました。
それが、本格的にプロのユーフォニアム奏者を目指そうと思った高校生の頃から、少しずつ音を外すことが怖くなっていったんです。
プロのユーフォニアム奏者になりたかった僕は、当時住んでいた長野県で唯一の音楽科のある小諸高校に入学。
そこでは将来音楽家を目指す高校生が実力を上げるべく、毎日必死に練習の日々を送っていました。
この高校に入って初めてのことといえば、楽器で学校の成績が決まるということ。
音楽科なので当たり前っちゃ当たり前なのですが、学校の成績は普通の国語や数学はもちろん、楽器の点数、ピアノやソルフェージュの点数などが成績に反映されます。
それまでは、コンクールなどで点数が出ることはあるとはいえ、ユーフォニアムが学校の成績に関係あるかと言われれば全くない状態。
ちょうどこの「成績に関わる」という事実が少しずつ重荷になっていき、自分の中で楽器を吹く=なるべくミスをしないように になっていったんです。
そのなるべくミスをしないというのが、僕の中では音を外さないことであり、どんどん怖くなっていきました。
音当てゲームは楽しくない
音当てゲーム。
音を外すことが怖い僕が陥ってしまった現象です。
音当てゲームとは、音を外すことがとにかく怖くなってしまい、音楽のことなんかそっちのけでとにかく外さないようにと音を当てることばかりに集中している状態。
この状態に陥ってしまうとどうなるのか。
僕の場合は、音楽が楽しくなくなってしまいました。
音楽の良さは音を当てるだけじゃ出せない
なぜ、音楽が楽しくなくなってしまったのでしょうか。
それは僕自身が今まで感じていた音楽の良さは「音が当たること」ではなかったから。
それなのに、ミスすると成績に関わるということが頭の中を支配してしまって、音を当てることだけに集中した結果、全く楽しくなくなってしまったというわけです。
これに気づいたのは、あるコンクールを聴きに行ったときでした。
高校生の頃は、自分がコンクールに出ていなくても、勉強になるとの思いから、ソロコンクールを聴きに行くことがありました。
そのコンクールを聴きに行ったのはまさに僕が「音当てゲーム」状態に陥っていた真っ最中。
とにかく音を外さない人がコンクールでも1位なんだろうなと思いながら聴いていました。
いろいろな演奏をする人がいましたが、何人かはほぼノーミスと言えるほど音を外さない人たち。
この中の誰かが1位なんだろうなと思っていたら…。
まさかのこの中の一人ではないある人が1位だったんです。
当時音さえ当たればいいと思っていた僕にとっては衝撃的でした。
でも、順位が出た後考えてみれば…。
確かに音は何回か外していたかもしれない。
でも心にグッと来るすごい素敵な演奏でした。
それは言葉では説明しきれないけれど、人の心に直接訴えかけるような演奏。
僕が音楽に求めていたのはこれだと思い出したきっかけでした。
これに気づいてからは、音を当てることだけを追い求めるのではなく、聴いてくれる人に「どうやって届けるのか」を考えて演奏できるように、少しずつ変わっていきました。
おわりに
金管楽器奏者なら誰もが悩んだことのある問題、音を外す恐怖です。
もちろん外さないほうが良いのかもしれませんが、高校生の頃の僕は「音を当てる」ことに必死過ぎて、「音楽を奏でる」という大切なものを失っていました。
こうなってしまうと、聴く人も楽しくないし、なにより自分自身も楽しくないですよね。
楽しいという気持ちは伝染するもの。
だからこそ、お客さんに楽しんで欲しいと思ったら自分が楽しむことが大切なんだと思います。
それでは、今日も楽しく練習していきましょう!
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