音楽の自由さに「読み聞かせ」から気づかされた話

こんにちは、石倉です。

 

今回は、クラシック音楽を演奏するとはどういうことなのか、について書きます。

 

僕は、小学校からずっとユーフォニアムを続けてきましたが、プロを目指していく中で自分の演奏に対するアドバイスというものがどんどん厳しいものになっていき、それがきつくなってしまった時があります。

それは、今から4年くらい前の大学2年生の頃です。

 

クラシック音楽は、過去に誰かが作曲した曲を、演奏するというもの。
しかし、当時の僕は
「誰かが作った曲をみんなが演奏するなんて、そんなのまるでカラオケと一緒じゃないか」
「僕が好きだったのは、音楽が持つ『自由』な部分だったのに、カラオケの点数を競ってるみたいでつらい」
そんな気持ちになってしまいました。

 

演奏できなくなってしまうくらいいろいろと悩んだ結果、演奏するということは朗読と似ている。
自分の中でそう結論づけました。

目次

演奏することがきつくなってしまった経緯

これを説明するのは、僕が音楽を好きになった経緯までさかのぼる必要があります。

音楽の自由さに惹かれた

一番最初に、ユーフォニアムという楽器に触れ、本格的に音楽を好きになったのは小学生の頃。

僕が音楽を好きになったのは、幼いながらに「音楽はとんでもなく自由な世界が広がっている。
そう感じたからです。

 

当時、学校の勉強はあまり好きではありませんでした。
それは、問題を解いては正解か不正解か、ただ答え合わせをしていくというのが少ししがらみに感じてしまっていたから。

ところが音楽は、自分が感じた思いを表現してもいい、正解や不正解があるわけではない、そんなところに惹かれました。

 

小学校で始めたユーフォニアムという楽器も、人と違う音が出せるということが魅力でした。
当時、友達と楽器を吹いていた時、おんなじ楽器なのにこんなにも人によって音色が異なることに、とてもびっくりした記憶があります。

「自分ならではの音色」「自分にしか出せない音」

そんなものを追い求めるのが好きでした。

プロを目指す過程でどんどんきつくなるアドバイス

時は過ぎて大学入学の時。

 

それまでユーフォニアムを続けてきて、プロを目指したい気持ちが強くなっていた僕は、「受験するなら1番難易度の高い学校を」との理由から、東京藝術大学を受験するも不合格に。
1年浪人して洗足学園音楽大学に入学することになります。

 

その後、なんとか学生生活を乗り切っていくのですが、ちょうど2年生になる頃にコロナが蔓延する事態に見舞われました。

 

予定されていた演奏会やイベントが徐々に無くなっていく恐怖。
演奏の機会が失われていく切なさ。

お客さんの前で演奏することがすっかりなくなってしまったんです。

 

それでも、リモートで行われるコンクールのためにレッスンを受けることはなんとか続けていました。

コンクールで良い成績を残せるよう、レッスンもどんどん厳しくなっていきます。

 

自分でもコンクールに向けて追い込んでいくうちに、演奏するということがどんどんきつくなってきてしまいました。

 

音楽は自由なところが好きだったのに、コンクールでいい賞を受賞するために、表現を型にはめていくようですごくしがらみを感じてしまったんです。

同じ曲を、同じ楽器で演奏して、コンクールで競い合う。

なんだか、カラオケの点数で競っているように感じてきてしまって、やる気は一気になくなってしまうことに。

 

結果、そのコンクールでは良い成績を残すことはできませんでした。

演奏は朗読なんだと気づくまで

その後、だいぶ時間がかかって、自分の中でひとつ腑に落ちることになります。

きっかけは読み聞かせ

今はどうかわからないのですが、僕は教育課程を履修しており、その過程の中で介護等体験というものがありました。

介護等体験とは、社会福祉施設や特別支援学校において介護や介助などの体験を行うことです。

 

そこで大学3年生の終わりごろ、とある特別支援学校に実習に行った際、生徒のみんなに読み聞かせをすることに。

 

このとき、僕なりに一生懸命読み聞かせをしたのですが、やはり現場の先生の読み聞かせには敵いません。
とても上手で聞きやすさ、面白さも圧倒的でした。

 

 

そこではっと気づかされます。

 

 

これ、めちゃくちゃ音楽と似てない?」と。

音楽と朗読の共通点

読み聞かせは、書いてある文字は同じです。
読み聞かせをする人が、その文章を変えることはありません。

しかし、
その文章にどんな感情を込めるか。
どんな言い方で、どんなトーンで、どんな表情で言うのか。

それはすべて読み聞かせをする人に委ねられているんです。

 

それは、音楽も全く同じだということに気づかせられました。

 

楽譜に書いてあることは同じ。

でも、
そのフレーズにどんな感情を込めるのか。
吹き方、音色。

すべて演奏者に委ねられているんです。

 

 

それはカラオケの採点とはまるで異なる、もっと自由な世界でした。

そう思ったら、僕の中で「演奏すること」に対する気持ちが、すっと腑に落ちました。

 

コンクールを目指す過程で、音楽の自由さを忘れかけてしまっていたけれど、本当はすごく自由な世界で、その中でどうしていくかのアドバイスをもらっているだけ。
決して、強制されているわけじゃないことにやっと気がつけたんです。

おわりに

「音楽は自由」

この大切なことを忘れてしまってから、すごく演奏がきつくなってしまいました。

 

でも、一見音楽と関係のない「読み聞かせ」というものが、僕の中で腑に落ちるきっかけに。

 

 

 

音楽をする気持ち。
それはもしかしたら、音楽をする上で一番大切なものかもしれませんね。

 

 

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この記事を書いた人

1999年、長野県出身。
ユーフォニアム奏者、作編曲家として活動中。

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