僕が受験に落ちたのは、練習の方向性が間違っていたから

こんにちは、石倉です。

僕は今から約6年前、東京藝術大学を受験しました。

朝学校が開く7時から夜学校が閉まる20時まで、その後も自分の家までユーフォニアムを持って帰って家の防音室で練習する。
自分が持てる時間すべて使って挑んだ試験だったのですが、結果的には不合格。

自他ともに認める落ち込みっぷりでした。

当時は、なんでこんなに練習したのに不合格なんだろう。
こんなに練習したのに…もうどれだけ練習しても上手くなれない。
なんて思っていました。

 

しかし、あれから約6年、闇雲に練習する練習の仕方から、少しずつなぜできないのかを考えながら練習する仕方に変えていくことに。

そんな今だから思うのは、僕が東京藝術大学に落ちたのは練習の方向性が間違っていたからなんだと、自分で気づいたんです。

目次

使える時間はすべて使った高校生時代

練習の方向性に気づいたのは、ここ数年の話。

東京藝術大学合格を目指していた高校生の頃は、とにかく練習量が大切と思い込んでしまっていたんです。

 

僕が高校生の頃、吹奏楽部の練習開始時間は朝8時からでした。

人よりとにかく多く練習することに命をかけていた僕は、朝6時45分までには学校に到着して、音楽室が開くのを外で待っていたんです。
その待っている間ですら時間が惜しかったので、楽器ケースからマウスピースだけ出してバジングの練習などしていました。

合奏が終わると、朝の9時から授業。
お昼休みにも楽器の練習をするため、お昼ご飯は1限目と2限目の間の時間に済ませ、お昼の時間になったら急いで音楽室に行きます。

そして放課後、部活が終わるのが19時。
そこから1時間は自主練として残っていてよかったのでここももちろん練習。
それだけでは足りなかったので、楽器を持ち帰って家の防音室で24時近くまで練習。

そんな日々を繰り返していました。

練習時間を合計したら、平日授業がある日でも最低8時間位は吹いていましたね。

休日は、部活こそあるものの授業はないので練習し放題。
1日12時間くらい吹いていました。

休日は、お昼の時間はみんなでご飯を食べるのが習慣になっていたのですが、僕はお昼を食べる時間すらもったいなかったので、みんなが楽しそうにご飯を食べている中一人練習していました。

今思うと、半分気が狂ったように感じますが、当時は必死そのもの。
1分1秒でも隙間があれば楽器を出して練習する、そんな生活でした。

時間数ももちろん大切、でもできるようになったことは意外と少ない

そんな生活を受験まで続けていき、いよいよ受験が近づいてきました。

受験前は授業もなくなるので、1日12時間位練習する毎日。

こんだけ練習してるんだから、神様だって応援してくれるはず
そんな気持ちが生まれてきました。

でも、「絶対に合格できるくらい、いい演奏ができる」自信はなぜか生まれてこなかった。
それはなぜなのか。

 

それは、本当にたくさんの時間をかけて練習してきたけれど、実際できるようになったことは意外と少ないからです。

 

当時は、タンギングがひどく苦手でした。
受験曲にタンギングを速くできないと演奏できない部分があったのですが、これは受験直前まで苦手なまま。

また、もう一つ悩んでいたのは、とてもバテやすいということ。

このバテやすいという悩みも、自分の練習時間が足りないからだと信じ切っていました。

毎日12時間の練習を続けていけばいつかバテなくなる、その思いから必死に練習していたんです。

でもこれって練習より、ただの精神安定行為に近い。

 

何度も何度も繰り返しやっている、それを記憶させることで「こんなに練習したから大丈夫」と安心したかったんです。

でも、実際に演奏の苦手な部分ができるようになったのかと言われれば、それは少し違いました。

 

東京藝術大学受験は1次試験は突破、2次試験はその苦手だったタンギングが上手くいかず(それ以外にも減点要素はあったと思いますが)、結果不合格。

 

こんだけやったのに、不合格なんて。
今後どんなに練習したって、できるようにはならないんだ。

 

東京藝術大学しか受験しなかったので、自動的に浪人となってしまいましたが、浪人時代は全くやる気が起きず、本当に苦しかった。

練習の方向性

浪人も上手くいかず、結局滑り止めで受けた洗足学園音楽大学に合格。

正直あまり嬉しいものではありませんでした。

 

大学在学中も、受験に落ちたショックをまあまあ引きずっていたのですが、とある方のレッスンを受けて考えが少しずつ変わっていったんです。

そのレッスンというのは、今起きている状態をしっかりと見つめ、考えて演奏するというもの。

練習時間をとにかく増やせばいいと思っていた僕にとっては衝撃的なレッスンでした。

例えばタンギング一つとっても、なぜ上手くいっていないのか、具体的に体をどう使えば上手くいくのかを思考するんです。
そうすることで、闇雲に練習してもできなかったタンギングが少しずつできるようになっていきました。

それは、闇雲な練習量ではなく、考える練習へと少しずつ変化していったんです。

練習量こそ受験のときより少なかったかもしれませんが、考えて練習することで、練習の方向性が演奏が良くなる方へ向いていきました。

おわりに

練習時間が足りないと信じ切っていた高校時代。

受験の結果は不合格でしたが、練習の方向性という大切なことに気がつくことができました。

もちろん、練習量は大切です。

でも、どれだけやっても上手くいかないとき、少しだけ立ち止まって、練習の方向性が「回数を重ねることで自分を安心させるだけ」になっていないか、確かめてみることが大切かもしれませんね。

 

 

それでは、今日も楽しく練習していきましょう。

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