僕が作曲を始めたのは、実はユーフォニアムを始めた時より前の6歳の頃です。(ユーフォニアムは10歳の時に始めました。)
当時ピアノすら習っていない & 音楽知識は皆無という中、自分の作った鼻歌に適当な伴奏をつけたのが始まりです。
その後はいろいろと紆余曲折あり、現在のユーフォを吹いたり作曲をしたりする石倉へとなっていくわけですが、今回は、僕が作曲を始めたきっかけの話をします。
レゴにハマった幼少期が作曲のきっかけに
僕は幼稚園のころ、レゴブロックが大好きでした。
レゴで何を作っていたのかといえばほとんどが車です。
物心ついた頃にはすでに車がとても好きで、「なぜ好きになったの?」と聞かれても答えられないくらい、気がついたら好きになっていました。
レゴブロックで遊んだことがある人はよくわかると思いますが、レゴブロックにはいわゆる「説明書」がついています。この説明書通りにブロックをくっつけていくと、完成するというものです。
今思い出してみると、僕は必ず一回は説明書通りに作るのですが、一度完成させるとバラバラにしてしまいます。その後は、ブロックの組み合わせを変え、自分のオリジナルの車を作っていました。
この頃から、自分のオリジナルを作ることがとても楽しかった。
今考えると、僕の作曲の原点はレゴブロックと言っても過言ではない気がします。
たくさんあるブロックの中から自分のオリジナルを作ること、たくさんの音から自分のオリジナルを作っていく作曲となんだか似ていませんか?
ギターを習ったことでコードがわかるように
音楽知識が全くないため、歌を作ってはその辺にあったキーボードで適当な伴奏を考え、頭で覚えることしかできなかった、という僕が進化したできごとは、小学校5年生の時にギターを習ったことです。
ギターを習ったことで和音の仕組み、いわゆるコードを覚えていきました。
当時は弾き語りで歌うのがとても好きで、暇さえあればギターを持って、大好きなコブクロの歌を弾き語りするのが日課に。
いろいろな曲を弾き語りする中で、なんとなくコードの法則みたいなものを知っていき、レゴブロックと同じように自分のオリジナルをたくさん作っていきました。
この頃から、きちんと楽譜に残すことができるようになり、頭で覚えるだけの作曲ではなくなっていったのです。
誰かに「ありがとう」と言ってもらえる作曲
高校は音楽科のある高校を選び、専攻はユーフォニアムでしたが、作曲もたくさんこなすようになっていました。
この頃、「自分の趣味のための作曲」から、誰かから依頼されて作る「誰かのための作曲」もするようになり、徐々に作曲家としての人生も歩み始めます。
自分がオリジナルを作ることで嬉しかった気持ちが、誰かに書いた曲で、「作ってくれてありがとう」と言ってもらえること、本当に本当に嬉しかった…。
作曲で「ありがとう」と言ってもらえる経験を何度かするうちに、作曲をする時の目標みたいなものが自然とできてきました。
その人にとって、思い出を思い出すきっかけになる曲を書きたい
今も作曲をする時に、常に考えていることです。
人生は刻々と進んでいきますが、それぞれのタイミングでハマる曲ってありますよね?
過去にたくさん聴いた曲を、久しぶりに聴いたりすると、当時の自分の気持ちだったり、当時の景色や思い出、匂いに至るまで鮮明に思い出せます。
曲を聴くことで、たくさんの思い出を思い出すきっかけになる、そんな曲がいっぱいあると幸せな気持ちになります。
僕の曲を聴いて、過去の思い出を思い出してくれる、こんなに嬉しいことはありません。
「自分らしさ」に悩んだ時期
その後、大学在学中も少しずつ作曲の依頼をいただく中で、あることに悩んだこともあります。
それは、「自分らしさが出せないこと」
大学に入ってから本格的に作曲の先生に習い、勉強をたくさんしたわけですが、勉強すればするほど、自分がオリジナルだと思っていたコードや作曲のやり方は、そこまでオリジナルではないことに気がついていくことになります。
いっときは「自分らしさ」ってなんなんだと悩んでしまい、作曲ができなくなってしまったこともありました。
そんな時、友人のある一言が僕の胸に刺さりました。
「石倉の書く曲って、なんか石倉が書いたってわかるんだよねー」
何気ない一言でしたが、自分らしさに悩んでいた僕にとってはとても嬉しかった。
「自分らしさ」は意識しなくても、今できることをやっていけば自然と出てくるようになる、そんな結論にいたりました。
今もいろいろなことに悩みながら、誰かにとって思い出を思い出すきっかけになる曲を目指して、曲を書いています。
おわりに
僕の作曲を始めたきっかけの話、いかがでしたか?
この世の中には本当にたくさんの作曲家がいます。
自分よりすごい曲を書いている人を見ると、悔しくなったり嫉妬したりもしますが、自分ができることをただひたむきに、そしていつか僕の曲で勇気が出たと言ってもらえるような、そんな作曲家に少しずつなっていきたいと思っています。